国立大学を中退するまでの話。第二章:東京インターン
#インターン #大学生 #休学 #はたらく #上京 #田舎者
4月の東京はどんな景色が広がっているのだろうー。
そう思いながら沖縄を旅立った私は、季節外れの半袖で…(笑)
(だって沖縄は夏みたいに暑かったから…><)
東京生活初の日は、お母さんが送ってくれたコートに
助けられるところから始まりました。
私が意気揚々と走り始めた時の足跡は、思っていたより軽快で。
今この瞬間もあの時の自分に負けていないか?とちょっぴり不安になりながら、懐かしみながら…こんな投稿を見つけました!
ー出来る限り甘えを捨てて、自分の力を試したいー
東京で私が新しくチャレンジしたことは、大きく以下の3つ。
思ったより厳しくて、精神すり減らしながらがむしゃらに。
思ったより楽しくて、新たな家族と私達のHOMEを創っていった。
思ったより届きにくくて、ずっと遠かった。できない自分にぶち当たった。
自分は何でもできるんだ!と根拠のない自信を盾に、
どこにでも進んでいく無敵な自分は初めの2ヶ月までだった。
自分で選択した、やりたい “しごと”
“はたらく” を経験して初めて気づいたことがある。
- やりたいことでも、“はたらき方”がしっくりこないと続かない
- “自分のため”ではエネルギー切れになる、誰かとの約束が必要
- “やりたいこと”のための“やりたくない”は、やりたいことに入る
東京での6ヶ月間は、思っていたよりもたくさんの気づきをくれたー。
ー自信満々の天狗鼻を折ってもらうためにー
この時まで19年生きてきた私の道のりは、
まるで、行きたい方向が誰かに見られているように
必要なタイミングで会いたい人と出逢い、
ここぞというところでちゃんと120%出せてきた。
側にはいつも誰かがいて、私がコケないように見張っててくれたんだよね。
だからこそ、私の見えてない自分の弱みを見たかったし、
自分に困難を乗り越える力が本当にあるのか?を試したかった。
高校生の時に刺激をもらった、同じ年のあの人が言っていた。
挫折をしていないことがコンプレックス。
お金にも不自由せず、学歴も高く、
何でも出来る風に生きてきたからさ
這い上がってきた人にいつか蹴落とされるんじゃないかって。
自分を追い込む経験をしたい。
挫折ってどうしたらできるんだろうねー。
すっごい共感した。
だからこそ、「挫折の仕方」に悩んでる人は少なくないんじゃないかなって。
結構難しかった…案外じぶんは強靭な精神で、なんでも大丈夫って思っちゃう(笑)
そんな中でも、「自分を折って、太くする」経験ができたと思うからこそ
自分を変えたい時、自分を試したい時、この条件は必須だと思う。
- 環境を変える(ホームグラウンドからできるだけ離れる)
- 頼れる人がいない場所からはじめる
- 衣食住に関することも全て自分でやる
- 「責任」が伴うことに挑戦する
自分のために、普通に大学に通ってたら
こんなに苦しくなかったはずだから。
“しごと”だったからこそ、求められること
「責任」あることに押しつぶされそうな経験ができたんだよな。
ー好きなことにも続かない理由があるー
教育NPOのお仕事は、すごく興味がある分野だったし、すごくいい人に囲まれて学ばせていただいたこと、とーっても感謝している。
ただ、どうしても“働く環境”が慣れなかった…。
満員電車に乗って通勤する。
PCのある机を向き合う形に並べて、顔合わせているのにムダに多くは話さない。
タイプする音だけが響き渡たる、常に緊張感のある時間がある。
普通の仕事現場なのかもしれないけれど、私には違和感だらけで。
今になって言語化できるけど、あの頃はただただ“仕事”ってこういうものなんだと思っていた。
こっそりイヤホンで音楽を聞きながら作業してみたり、
場所を変えて寮で作業する時間を増やしてみたり。
好きな仕事を続けるためには、自分が気持ちよくのめり込める環境を、自分でつくること。
今となっては当たり前だけど、作られた環境に飛び込んでみて、レールの上を走らなきゃいけないのかな?って思ってたからこそ、自分で気づけたことだった。
毎日まいにち、今の私ではありえないようなネガティブ思考で
過ぎる時間を意識しすぎて、何度時計を見たかな(笑)
今だから言えるけど、東京でのインターン後半の4ヶ月は気力でやりきった!
沖縄で頑張る仲間に対して、自分勝手に「東京で修行してくる!」と言い放って決めて強行突破したからこそ、守らなきゃいけない約束だった。
絶対に、自分にとって、沖縄にとって
プラスになる経験と出逢いを重ねること。
帰って1年は気づかなかったけど、
だいぶたくさんのお土産を手にしていたみたい。
どんなおみやげだったのか、中身は続きで…。
いつも自分に素直に、みんなに素直に。
ゆりりん