恋した経営者のブログ〜素直でいるために〜

沖縄を世界の平和モデルへ!日々がち(本気)でゆんたく(おしゃべり)することを仕事にする、沖縄娘の言語化部屋です(*^^*)

がちゆん流ファシリテーションとは何か〜衝突からの誕生〜

#ファシリテーション #生み出す #本気 #信じる #がちゆん

 

最近は、話すことに加えて表現することが多くあった。

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大好きな師匠の講座が沖縄開催だったので、また自分と向き合う時間が持てて最高に嬉しかった。内言を溜めるための手段として、自分流のファシリテーションを発展させるためのインプットアウトプットの場としても、活かせる場。

まだこの魅力を言語化しきっていないのが悔しい、、、(泣)

アプライドインプロヴィゼーションについては長くなるので、また今度講座のレポートを書こうと思います!お楽しみに✨

 

 

▶「ファシリテーション」とは何か?

仕事上、私のまわりではよく出てくる単語であり、いろんな捉えられ方がある。

一般的には、以下のように説明されている。

ファシリテーション(facilitation)とは、人々の活動が容易にできるよう支援し、うまくことが運ぶよう舵取りすること。集団による問題解決、アイデア創造、教育、学習等、あらゆる知識創造活動を支援し促進していく働きを意味します。その役割を担う人がファシリテーター(facilitatior)であり、会議で言えば進行役にあたります。

参考:特定非営利活動法人日本ファシリテーション協会 より

www2.faj.or.jp

 

ファシリテーションを手法として捉えると、ファシリテーターはそれを行う(担当する)人であり、場全体のコーディネーターだったり、少人数規模のグループに1名いたりする。

私の考え方からすると、ファシリテーションは役割というだけでなく、自分の関わり方/姿勢、考え方など自分自身に染み込んでるようなものだと思っていたからこそ、ふとした時に「いまの発言はファシリテーターとしてどんな意味を持たせられたのか?」という問いが湧き出てくる。

自分でも考え、たくさんのファシリテーターファシリテーションを見て体感して来た中で、たくさんのモヤモヤが溜まっていた・・・。

何なんだーーー!!このモヤモヤっ(泣)

と思いながらガチでゆんたくを重ねる中で、ふわっとだけど、しっかりと分かったことがある。

 

 

▶「衝突」を生むことはファシリテーションではないのか?

私のはたらく株式会社がちゆんでは、その社名どおり「がち(本気)でゆんたく(おしゃべり)」する場づくりを依頼していただくことが多い。

修学旅行生を対象に平和をテーマにすることもあれば、企業や行政の方々を対象に地域の課題についてを話すこともある。

哲学的なテーマで答えがない時にも、より良い改善を目指す具体的な話の場合にも、いつも場に関わる私の姿勢として大事にするのは同じこと。

 

「あなたの意見をちゃんとキャッチするよ」の姿勢。

「意見の対立はする、でもあなた自身の否定はしないよ」の空気づくり。

 

そして、

「はっ…」とする自己変容を生み出すこと。

 

3つ目は最近少しずつ言語化してきた、一番がちゆんの特徴的な部分。

もちろん、どんな人達がその場に参加しているのか、どんなテーマなのかによって場の仕掛けはだいぶ変えるし、関わり方も変容させる。

ただ、多くのファシリテーターがいる場とがちゆんの場の違いは「衝突を起こす」ということだと思う。

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これは、私が社内で日々がちでゆんたくを重ねたからこそ実感している確かなこと。

人は自分だけで意見を生み出すことはできない。

誰かとの対話の中での気づきも多いし、本を読みながら自分の考えを構築していく人もいるし、景色や音楽や芸術に触れて、何かとのキャッチボールの中で自分を確認していく。

そこには必ず、「違和感」や「共感」があって、特に感情が動かされた時に、その心の動きが思考回路を巡って言語化へと繋がる。

 

だからこそ、私たちがファシリテーションをする際には、意識的にも無意識的にも「衝突」が生まれるような仕掛けを多くしている。

通常ファシリテーターがいる場は、かなりスムーズに色んな人の意見がかわされて、伝わりやすく言語化されて、まとまりよくその場が仕上がっていく。

その、「きれいさ」に違和感を感じる。

私たちの目指すファシリテーションとは違う。

 

参加者の内的変容の実感を生むために、その人自身の中にそもそも意見や考えがつくられていないかもしれない、という前提から始める。

ーがちゆん社長の言葉ー 国仲 瞬

 

意見や考えがない人にどんな質問をしても、

いくら待っても、その人からは何も出てこない。

だから、仕掛けにいく。

 

どこに違和感を感じるのか?

どこで怒りに触れるのか?ムキになるのか?

 

感情をほじくりかえすこともする。

だから、きれいにはいかないし、客観的に見た人からは喧嘩に見えるかもしれない。

結果まとまらなくて、振り出し以上前に戻った感覚になるかもしれない。

 

だけど、ひとりひとりの内的変容は絶対にある。

「なんであの発言にイラッと来たのか?」

「自分が言いたいことは、そんなことではない!じゃあ何なのか?」

自問自答が出て来るからこそ、今まで「無かった」ものが衝突によって「生まれる」んだと思う。

 

通常、議論をする中で感情的になることはあまり歓迎されない。

怖がって意見出しづらい人がいるから。

怒りに任せて暴走する人がいるから。

空気が凍りついてしまうから…。

 

だから、ファシリテーターが必要なんだ。

 

 

▶がちゆん流ファシリテーションとは?

ファシリテーターは安心安全な場をつくる。

感情的になりやすい人、言い方が強い表現となってしまう人からすると、自分の素が制限される場は安心ではないはず。

もちろん場の決まりとしてグランドルールを使用することは大事、でもそれは誰にとってのどんな役割を持つのか考える必要がある。

 

感情は、言葉より先に何かを表現する。

感情は、過去に眠っていたものをパッと引っ張り出す力を持っている。

感情は、シナプスを越えてこころに響く。

 

私たちは、「衝突」するエネルギーが

無からでも、何かを生み出せることを信じている。

内的変容を生み出し、思考と行動に繋がる一歩になると信じている。

 

だからこそ、私はひとりのファシリテーターとして「受信力」を鍛える必要がある。

言葉以外からのいろんなメッセージを見逃さない。

本人だって気づいていない「違和感」を察知して、問いかける。

感情が言語化される前だって、表情や身体は反応することが多い。

ー腕を組んだ、眉間にシワが寄った、斜め上を向いた、反るように座ったー

そんな、なんでもないようなことまでをキャッチして、ツッコミを入れる。

まだまだ足りないけれど、誰よりも体感値を増やして鍛えあげようと思う。

 

 

多くの人が、感情をむき出しに話すことを怖がらなくていいような

がちでゆんたくできる文化をつくること。

そこから、社会を動かすエネルギーが生まれることを信じている。

 

 

だからここで、がちゆんするんだー。

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いつでも自分に素直に、みんなに素直に。

 

 

ゆりりん